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生物学的スピードは、きっと織田信長ではない。

 先日友人の家に遊びに行ったら、小学校六年生の息子さんが出迎えてくれた。ママより先にお宅に着いてしまったようだ。参考書や教科書を広げて勉強中だった。ダイニングテーブルに、日本史の暗記すべき年業表がひらりと置いてあったので、息子くんが冷蔵庫から出してくれた美味しいルイボスティをクピクピ飲みながらそれをじっと眺めた。それからもちろん質問合戦。いや、合戦ではない。私から一方的に質問攻め。

「百済の滅亡!」

「三世一身法!」

「藤原道長が摂政になる!」

「桶狭間の戦い!」

息子くんとても賢く、全ての質問に間髪入れずに答えてくれる。私はといえば、大政奉還とか五箇条の御誓文とか30年ぶりに口にするような単語を発生する喜びに震えていた。これ、楽しい。さらに「え??アヘン戦争ってこんなに昔のことだったっけ?もっと最近かと思ってたー」などの、あほすぎる質問にも対応して、その前後の歴史の流れを説明してからちゃんと回答してくれる。反射神経だけで年号丸暗記しててもできない技。彼は本当にインテリジェントなんだ。

 そんな神童のような彼に、インタビュアーとして恥ずかしくなるようなベタな質問を捧げてみた。「で、日本史上の人物で誰が一番好きなの?」と。こんなにも日本史の隅々まで熟知している彼だからこそ、ものすごい隠れキャラ出てきたらどうしよ…と内心ハラハラしていたが、意外にもその答えは、織田信長だった。抱きしめたいくらい好きだよ。♯metoo    何を隠そう、私も信長が好き。私たち同類、中二病だね。息子くんは小学生だからいいけど、私はやばい。

 なぜ私が織田信長好きなのかというと、多分、人生で一番はじめに読んだ伝記だから。当時で創立100年以上を誇る(どうしよう、もう200年いっちゃってたら)育英小学校の図書室で借りた本の図書カードをチェックしたら、なんと内田幹雄と書いてあって驚愕した。父だ。まさかと思ったが、時期は昭和30年とかそこらだったし、なんとなく筆跡も同じだったから多分そう。みんな…小学生時代には通る道なんだな。

 ということで、政治ポリシーに賛同するとかそういう深い理由があるわけではないが、信長の存在は今も変わらずなんか好き。信長といえば、秀吉や、家康とのキャラクター比較でホトトギスの俳句がよく使われる。「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」ってやつだ。なんとなくそのエッセンスが私の中にも、大人になっても生きていて侵食している。せっかちだし、前のめり。うちの父もその傾向がある。この間、脳溢血とか心臓発作に気をつけてねと話し合ったばかりだ。

 先日もやってしまった。買ってきた百合の花……。1つの蕾がまるですずらん?のように膨らんんでいるのだが、なかなか開かない。ちょっと苦しそうに見えた。「なになに、咲かぬなら咲かせてみよう百合の花」そんな言葉が脳裏を擦りながら、指で引っ張って先端をピュってひきちぎって開かせてしまった。それが写真下の花。なんだか花びらがチリチリしている。上の花は、私に手を加えられることなく、自然に、生物学的な速度でゆっくり咲いた花。しつこいが下のが無理やり咲かされた花。さらに悲しいことに、無理やりの花はこれ以上咲くことはなかった。チリチリの花びらはシュッと自然に伸びるものだと毎日期待していたのに、これがマックスな状態で枯れていった。ごめんなさい。(無理やりでも)咲かせた!のであるのならば秀吉的行動とも取れるが、でも、結局、咲ききることなく枯れたので、私のせっかち心から殺してしまった信長魂の仕業である。

 

 結局、生物には生物のリズムがあるんだなと痛感した。それは体を動かしていてもそう。無理やりに開かせたり、ストレッチしたり、動かしてしまうのと……一番上の百合の花のように、自然と自ずとナチュラルにオートマティックに開くのではまるでわけが違う。痛いよね、無理やりは。そしてカラダに負担だ。怪我が治ること、病気の治癒、ダイエットの成功、筋肉をビルドアップして行くこと……. それにはそれのリズムがある。 Take  my time.  自然の摂理って、リズムがある。そのバイオロジカルリズムは、きっと信長ではない。待ってくれる家康なのかもね。

 

気分が乗らないけど仕方ない。Y太郎くん、私、家康に乗り換える…そろそろ。